「家庭菜園や畑で野菜を育てる」「モノを手作りする」そして「自転車を使う」という3つの生活法を生長の家では勧めています。その意義はこのブログでもお伝えしていますが、これらは災害時にも役立ちます。

日頃からそのような生活方法を採り入れていると、昨年の北海道胆振東部地震発生後のように電気が使用不可能となったり、流通が麻痺したりしても、庭に植えた野菜をしばらく食べることができますし、必要な道具をある程度作ることができるかもしれません。自転車なら遠距離まで移動可能ですし、体力があれば生存に有利です。
これらの能力の有無が生死を分けることもあり得ます。だから、3つの生活法を楽しみながらもスキルを高めておくことは、今後、増加が予測されている自然災害に対して「備える」ことになるのです。

広島の被災地。画像の中央の沢から土砂が流れ込みました。
川といえるほどの幅もありません
広島での支援活動の一コマ

それに加え、自然に感謝し、畏(おそ)れ、その地域で起こった自然災害などを「知る」ことも大事です。地形や地盤が同じであれば、過去と同様の災害が起こる可能性もあると考えられるからです。「平成30年7月豪雨」で甚大な被害にあった広島県坂町の小屋浦地区では、100年以上前に同じような土砂災害があり、それを知らせる石碑も建っていましたが、悲劇は繰り返されてしまいました。*1

そういうわりには、山梨県に移住して6年目を迎える私は、この地域の災害についてよく知りませんでした。そこで、少し調べてみました。すると、この地域でも度々、自然の猛威に晒されていたことがわかりました。大きななものでは、①明治31年9月と、②昭和18年9月に起こった土砂災害です。この地域の方言では「山津波」や「押ん出し」とも呼ばれたそうです。

①嗚呼池水還身碑
被害のほぼ中心地に建つ

①は、「谷戸」という地域一帯が被害に遭い、死者55名を出しました。②は、甲斐小泉駅の近くを襲い、行方不明者を出したほか、地元の人に馴染みの深い「三分一湧水」を土砂で埋めつくしたそうです

②三分一湧水「大荒れの碑」

画像のように、①②とも土砂災害があったこと、およびその危険性を後世に伝えていく目的で石碑が建てられています。

記録によると、①の際には、一1日で166ミリの降雨があり、②では記録では小雨程度でしたが、 局地的な大雨が原因ではないかと推測されるそうです。(いずれも甲府の観測所のデータによる)また、大豪雨という条件だけでなく、流出した樹木や岩石が細い川や沢の水の流れを止め、水圧が上がり、一気に決壊放流したことも原因とされています。

ゲリラ豪雨が増加している最近では、このような土砂災害もあり得ると認識して備える方が、いざというときの初動も早くなるでしょう。(そういえば昨年、私たちSNI自転車部が毎年ヒルクライムイベントを行う「天女山」でも、大雨の後、軽度な土砂崩れが発生していました)

天女山付近の土砂崩れ①
天女山付近の土砂崩れ②

避難勧告や指示が出た場合、私たち家族の避難場所には、まさに①で大きな被害にあった谷戸地区の学校が指定されています。「大丈夫かな」という気持ちになります。もっと標高の低い場所まで避難する必要があるのかもしれません。

以上は些細な例ですが、少し知るだけでも、東日本大震災の際に話題となった「想定外」の範囲を小さくして、被害を軽減したり、災害時には困っている人を助けることができるかもしれません。

温暖化が進行する現代に生きる私たちは、温暖化を今以上に進めないような生活を工夫して実践し、それを伝えていくことはもちろんですが、それに加えて、自然から、そして先人の過去の体験から学ぶ姿勢も必要であると思います。

ところで先日、兵庫県のSNI自転車部のメンバーが主催して、阪神淡路大震災の経験と教訓を継承し、防災、減災のために必要な情報を発信する施設、「人と防災未来センター」に行き、災害に対する正しい知識を学ぶミニイベントが開催されました。このような内容や、あるいは各地にある石碑を自転車で訪問するミニイベントを企画してみるのも良いですね。

※図書館やインターネットで、各地域の災害の記録は見つかるかもしれません。

(岡田 慎太郎)

【参考文献】
『大泉村誌』(大泉村誌編集委員会編、1989)
『いずみのふるさと』(大泉教育委員会編、昭和五十四年)
*1『朝日新聞デジタル』8月5日

【参考サイト】
八ヶ岳南麓 「押ん出し」記 中井一鴨