フェスタを中止にして行った災害支援の長野編です。

長野編と言いつつ、今回のブログでは特に準備についてもお話しようと思います。

台風から支援までの日程

台風19号によって各地に大きな被害があったのは、10月12日から13日。

私達のフェスタの開催予定日は10月19・20日でしたので、ちょうど1週間前です。 台風一過の13日朝、自宅は停電していましたがオフィスは電気がついているので通常出勤し、各地の大変な被害に呆然としつつ、『この状況でほんとうにフェスタやるの?』と思いながら、そのときはまだフェスタの準備を進めていました。

『フェスタは中止。職員で被災地支援に行きます』

周知されて本格的に準備が始まったのは16日のことでした。

私は長野へ行くチームの準備担当となり、今の今まで準備していたフェスタのあれこれを全て放り投げて、今度は「大勢の職員を、どうやって無事に被災地に連れて行くか」を考えることになりました。

被災地支援未経験者が8割以上の職員総勢57人が、インフラが崩壊した被災地に行って無事に帰って来る為の準備を、ほぼ2日でしなくてはなりませんでした。

まず全員に装備を整えて貰う

これは今でも悔やんでいる点です。

各自に装備を整えて貰うにあたり、ボランティア経験者から提供された装備や心得を全員に周知しましたが、その装備一覧には『安全靴or長靴』とありました。大きな水害から1週間の被災地では長靴 一択です。靴どころか、全身泥まみれになる現場であることを、もっと危機感を持って知らせるべきでした。

泥だらけです

移動・道具・食べ物・その他・・・

57人が乗る車、57人が使う道具、57人が泊まれる場所、57人の食事・・・また、全員がボランティア保険に加入して参加できるように、準備を担当した数名で奔走しました。

さらに水害の場合、活動後の格好は汚泥にまみれているのでそのまま長時間車に乗って帰るのは大変不衛生であると聞き、57人が入れるお風呂探しもしました。

刻一刻変わる現地の状況

上司には「正確な情報を調べて」と言われるのですが、被災後1週間未満の現地では、確実なものはなにひとつありません。被災直後だった為に専用のホームページもありませんでしたし、電話を掛けてもそのたび状況が変わっていて、前日にはボランティアセンターの場所まで変わりました。

今では特設Facebookページで毎日の状況が判ります

後方支援

なるべく多くの職員が被災地に赴けるように計画しましたが、個人の体調の問題、家庭の事情等で行く事ができない人達を『後方支援隊』としました。主に、食事の準備を担当してもらう人達です。

57人の3食(夜・朝・昼)を相談したところ、酢飯にしょうがを混ぜ込んだおむすびを柏の葉で包んだものを出発前に作って持たせてくれました。酢飯・しょうが・殺菌作用のある柏の葉、翌朝まで常温でも保存できるアイディアで、私達を支援してくれました。

夏にはおすすめできないそうですが。大変美味でした。

また、中止したフェスタでは「防災」をテーマにブースを設ける予定で、保存食としてインスタントのカレー(パウチ)を用意していました。それを活かしました。被災地では水が貴重なのでお皿にラップを敷いて使うのが有効だという、まさにフェスタでやりたかったような事を、実際に体験しました。

ラップに包んだご飯も持たせて貰いました。

そして現地では・・・

翌週に貼り出されていた地図。この時にはまだありませんでした。

事前に確認していた「長野市北部ボランティアセンター」へ行くと、「穂保地区のサテライト」へ向かうように言われました。大変な渋滞で30分ほど掛かりましたが、そこはルート検索をすると本来10分も掛からない場所なのです。(↑の地図では「りんごサテライト」の近く)

泥で通行困難な道がまだ沢山あること、支援物資を運ぶ車、自衛隊の車、駆けつけたボランティア・・・それらが原因の大渋滞でした。被災1週間の現地は、混沌としていました。

ペースト状の泥

57人を、ボランティア経験者をリーダーとした5班に分け、作業に当たりました。 前日が雨だったことも影響していたでしょうか、私達が担当したお宅の泥はまだ非常に水分が多く、泥をかいてもかいても流れて戻るような状態でした。

足を取られて転ぶ人も多い現場でした
泥だらけで、泥の中で食事 ※一応手は洗って除菌しました

災害に直面した人達の言動

これほどまでに大変な状況でも、それでもボランティアの人達へ経口補水液を配ったり、おむすびを用意してくださり、帰り際には何度も感謝の言葉をくださるおうちもあれば、淡々と自分も作業にあたる人もあれば、今後を悲観して言い争う声を聞いたという人もいました。

私達の被災地支援も、事前準備のチームは急遽作られて、2日間での突貫準備でしたので、反省点を数えればキリがなく、沢山の不備がありました。それに対して多くの職員は「短期間でよくぞここまで準備してくれました」「大変でしたね」と労いの気持ちを表してくださいました。

しかし中には、「もっと早く教えて」「なんで普段使わない備品を今回の為だけに個人で買わなきゃいけないの」「こんな沢山の人と寝食一緒は嫌」などという言葉もありました。

心を良い方向へ

被災者の方々と私達の立場は全く違いますが、緊急時の場面でこそ、思いやりのある理性的な発言ができる人間でありたいと思いました。日々、心を良い方向に向けておく、良い言葉を使う習慣づけが大切なのだと感じました。

まだ続く支援

今回のブログは初めてオフィス全体で行った被災地支援の話でしたが、このあとは、その後続けて行った支援の話です。自転車部事務局メンバーがそれぞれが行った先で、何を感じたのか、またお知らせします。

宮田