「長野市災害ボランティアセンター」のFacebookページには、参加したボランティアのおよその数が毎日発表されています。それを見ると現在のボランティア活動は週末のみ、参加者は土曜日で1100人。被災直後の土日は3000人を越えるボランティアが集まっていたことを思うと、かなり減っているのが判ります。
また、長野市はこれから厳しい冬に入り、ボランティア活動は縮小されるそうです。
生長の家国際本部としての先の支援活動で、私は2度(3日間)、長野市穂保地区を訪れました。
1軒のお宅の泥を掻き出すのに10人がかりで1日かけても終わらない途方もない作業に、自然の力の強大さ、人間の力の小ささを感じました。また、長野の冬は非常に厳しいことも容易に想像がつきます。これで終わってはいけない、寒くなる前にできることを・・・という気持ちになりました。
「また個人でボランティアに行きましょう」と同僚数人で話をしていたところ、11月23日に大阪のメンバー数名も長野市を訪れてボランティア活動する予定、ボランティア初参加者もいると聞き、僅かながらも彼女たちをバックアップしたいと考え、私達も同日に参加することにしました。さらに愛知からも合流し、総勢29名の団体となりました。
山梨のメンバーのひとりは、前日に長野入りする大阪のメンバーにアドバイスや経験談を伝えるために先発しました。余計なお世話かもしれないけど・・・と言っていましたが、経験者の生の声を事前に聞くことはインターネットで調べる以上に有益だと思います。
顔も知らない他人からの情報ではなく、よく知る人の実体験なので、より信頼できますし、その人の人となり、体力などから想像できる情報も違います。
再びの穂保地区
そして翌朝8時。現地で29人が集結しました。
受付が遅くなると作業時間が短くなってしまうので、ボランティアセンターの始業前に到着したいと考えた結果、私達は朝5時出発。愛知のメンバーはなんと4時前に家を出て来たとのこと。お役に立ちたいという熱意が伝わってきました。
自家用車で参加するボランティアには欠かせない問題だと思いますが、朝早くに出て、1日中作業してクタクタになって帰路につくので、休憩を多めに取ったり、交代で運転したり、運転手が眠くならないように周りも気を配る必要がありました。ボランティアの作業と一緒で絶対に無理をしてはいけないのですが、なるべく頑張りたくなってしまうのがボランティアに参加する人達の心意気なのだろうと思います。
ひと月経った被災地
ひと月ぶりの穂保地区は、大通り沿いは随分綺麗になっていました。ボランティアセンターから徒歩3分のコンビニの営業が再開していたり、12月1日から営業を再開する予定と書かれた書店があったり。
ただ、少し千曲川寄りの小道に入ると、まだまだ支援が足りていない事が判ります。消毒の為の消石灰(多分)が撒かれて泥を出し終えたらしい家もあれば、そのすぐ横にまだどっさりと積まれた泥があり、リンゴ畑の多くはまだ幹の周りだけ何とか泥を退かしただけでした。
この日の作業
この日は29人が3チームに分かれました。屋内で家財の清掃をするチームなどもありましたが、私が担当したのはお寺の敷地内の泥だしでした。
敷地内は全て泥があった筈なのですが、墓地は綺麗に泥だしされていて、お参りをした人がいたと判るお花が供えられたお墓もありました。しかし、住居の裏にある広いお庭は、全くといって言いほど手付かずのまま泥が残っていました。お墓を守るのはお寺の役目で、被災して大変な状況だからこそ、ご先祖様へお参りしたい人も多くおられると思います。そうした中でこの方達は自宅を後回しにされたのかなと思うと切なくなりました。
固い泥
被災後1週間ではびしゃびしゃだった泥が、10日後には生チョコのようになり、1ヶ月後のこのときには水分が抜けてかなり固くなっていました。
時間の経過とともに災害ボランティアの数は減りますが、泥出しの作業も、より一層重労働になっていきます。(今までも楽な作業はありませんでしたが。) 体重を掛けないと泥に入っていかないスコップ、密度があって重く感じる泥。腰や腕に負担をかけないコツを聞いても、1日で慣れるものではありません。体力も必要ですが、支援は早めに継続して行くことも大切だと実感しました。
他人事ではない
台風19号の影響で、私の実家がある地域(千葉)にも避難指示が出ました。利根川の増水です。水位が下がり始めて避難解除になったと両親から連絡を貰うまでの間、夕闇で何も見えない地元の川のライブ映像(インターネットで公開している)に何度も目を凝らしました。
私が子供の頃には一度も決壊の危機など無かったのですが、成人して家を出てからは数回、避難勧告があり、近所で床上浸水した家があるという話を聞きました。間違い無く近年災害は多くなっていて、上流の広域に降り続いた大雨が一斉に集まって来る川の側で生きる恐ろしさを感じました。
同じく川の側で生きる穂保地区の人達は私にとっては他人ではなく、そしてこれほど短期間に何度も来て、地図を見て(ちょっと迷って)歩き回って、(迷子を助けて貰って)、何軒かのお宅に作業に入らせて頂いて、家主の方とお話して・・・としている間に、この地域の人達をとても身近に感じられるようになっていました。
テレビの中で起こっていることではない
大変な状況を見るのが辛くてテレビを消したという人や、被災地のニュース映像が非日常過ぎて映画やゲームの世界のように感じた、という人の話を聞きました。それでは、災害が増えて行く今後、我が身に何か起きたときには正しい対処ができないのは間違いありません。
被災地のボランティア活動に携わる事は、被災者を助けるだけでなく、自分たちの災害への心の備えにもなるのではないかと思いました。
できることはある
年齢や体力、家庭の事情などで躊躇する事はあると思いますが、先のブログで判るように、被災地に行けなくてもバックアップする事はできます。食事だけではありません。道具を揃えて車に積んだり、持って帰って来た泥だらけの道具を洗う作業だけでも、大助かりです。
もし今後、ボランティア活動に参加出来るの機会があれば、勇気を出して行ってみる、手伝える事はないか聞いてみるなどしてみて頂ければと思います。
宮田