以前の記事で概要をお伝えしましたが、今回はフェスタを中止にして行った支援活動の様子をお伝えします。

福島まで

なぜ福島へ行ったか。理由は生長の家の信徒が被災したからです。福島では台風19号による大雨で、阿武隈川の堤防が複数箇所決壊し、広い範囲で氾濫しました。
しかし、行くと決めたものの、10月19日時点の交通状況では、山梨県北杜市から福島まで行くのにも一苦労でした。まず、東京方面へ行く手段がありません。鉄道(中央線)も高速道路も通行止めでした。

大量の土砂が流入して
半月以上不通になった中央線
福島への道のり

車で途中駅まで北上して長野新幹線を利用するルートで行くことが出来ましたが、ご存じの通り長野も大変な被災をしており、新幹線は大幅に本数を減らしての運行(全て自由席)でした。もちろん座席には座れず、車内は身動きできない様子でした。

混雑している新幹線

栃木の協力を得る

活動日は2日の予定でしたので、活動する予定の福島に泊まりたいところですが、被災地の宿泊施設は、●被災している●多くのボランティアが駆けつけている●通常のサービスが提供できない為受け入れていない等の理由から大変混雑します。まして我々のような30人の団体を受け入れられる宿泊施設は無いため、今回は栃木県の生長の家の拠点(教化部)をお借りして1泊しました。
そこでは、同行した生長の家の女性の組織である「白鳩会」の佐藤香奈美・会長が、白鳩会員の方と一緒に夕食を作り、さらに夜遅くまで翌日の朝食、昼食となるオムスビを作ってくれました。このオムスビにどれだけ力を頂いたことか。支援活動は前線で作業するだけではなく、誰でも貢献できることがあり、それに支えられていると知りました。

また、翌日に備えミーティングを行いました。災害支援経験者からどんな気持ちで作業にあたるのか等について聞き、土嚢袋の縛り方、ロープの使い方等を学ぶ時間がありました。

活動場所

翌日、栃木から移動した我々は、当初は信徒宅の災害復興支援に行くつもりでしたが、もう人手は足りているということだったので(被災地では状況がころころ変わります)、一般のお宅の支援にまわることにしました。
場所は決壊した阿武隈川の近くの水門町。多くの家屋が一階の天井まで浸水した場所です。

ボランティアセンター(通称ボラセン)

被災地域には、その地域一帯のボランティアを統括する「災害ボランティアセンター」が設置されます。母体は全国にある「社会福祉協議会(社協)」で、ボランティアの募集と被災者の要望を聞き、両者を結びつける(マッチング)役割を担います。
我々もまず、そこへ受付に行きました。

ボランティア活動は、『ボランティア保険』に加入して参加するのが基本です。この保険はボラセンを介さない個人的な活動には適応されません。

ボラセンの始業前に到着した我々は、待っている間に、全員ヘルメット、マスク、ゴーグルなどを装着して顔合わせと打合せをしました。必要な装備を調えると、誰が誰だか判らなくなるからです。ガムテープに太マジックで名前を書き、ヘルメットや服に貼りました。

災害支援の基本装備

写真を見て大げさな装備と思われるでしょうか。しかしこれら全てはとても大切なのです。


ヘルメット:被災地では、災害ゴミが背の高さよりも高く積まれています。床を剥がすためのバール、泥出しの為のスコップなどを力強く使っている人も沢山います。作業内容が剥がして降ってくる天井や壁を集める仕事かもしれません。誰も故意に当てるつもりなどありませんが、ひやりとするシーンが沢山あります。
ゴーグル・マスク:水害が起きた場所で掻き出す泥は普通の泥ではありません。「汚泥」です。下水も農薬も油も何もかも一緒くたになったものです。それが乾いて舞うことで粉塵となり、目や鼻・喉に入って身体に良いわけがありませんし、腐臭もします。
長靴(踏み抜き防止インソール入り):被災から間もない現地は、泥だらけです。長靴が必要です。たとえば泥でぬかるんだ足元は板を置くと歩きやすくなります。その板が災害ゴミとなって排出された床板だったら。そこに釘が残っていたらどうなるでしょう。


「手伝ってくださーい」という呼びかけでボラセンの始業準備をお手伝いしました。体育館から机やイス、ホワイトボードなどを運ぶのです。ボランティアはお客様ではありませんので手伝いました。
ボラセンにはその後50人ほどのボランティアが集まり、そこで作業内容が発表されました。


「泥だし、男性7名、どなたかお願いできますか?」
希望する人が手を挙げ、作業する場所が決まります。ボランティア希望者の体力や経験、準備した装備や、持参した道具などで、できることは異なってきます。常に希望する作業があるわけでも、想定した人数で作業ができるわけでもありません。発表された作業から、自分ができそうな作業を申し出ます。


水害が起きた地域での主な要望
▼床下の泥出し ▼床剥がし ▼畳の運び出し ▼家財の運び出し ▼室内の洗浄
▼食器類などの洗浄 ▼家具の解体 ▼災害ゴミの運搬 など多岐にわたります。


私達の現場

被災地は災害ゴミが壁のように積まれていて道は狭く、車を駐めることはできません。依頼先のお宅まで徒歩で向かう途中の家々の壁や畑の野菜は全て泥をかぶっていました。以下が、2日間で私達が行った作業の一部です。

床下の泥だし
家財道具の解体および分別
畳運び、家財道具運び出し

災害復興支援とは

ほかにも書かないといけないと思うことは山ほどあるのですが、長文になりすぎましたので、それはまた次回以降のブログで。

私達が床や窓を洗浄したお宅、実は、家を取り壊す予定だったそうです。作業効率で考えると、「取り壊す家の床や窓を洗浄する必要は無いのでは?」との考えが私の脳裏に一瞬浮かびました。でも、栃木で前泊したときの、「被災者の気持ちになって考えてみてください」というミーティングでの言葉が思い出されました。そして、この洗浄作業は、もしかしたら被災者にとっては、家への感謝と別れの儀式のようなものであり、建物をきれいにすることで、気持ちを整理し、次への一歩を踏み出すための大切な時間なのではないか、と思いました。災害復興支援というのは、ただ単に、片付けではなく、被災者の気持ちをも整えるお手伝いをさせていただいている、そういうものだと感じました。
また、行こう。一日でできることは僅かなこと、それでも、力になれると信じています。

自転車部事務局 田中慎太郎