10月19日、20日の2日間にわたり、福島と長野に分かれて行った第1弾の復興支援活動(それぞれの様子は福島編長野編のブログ参照)からおよそ10日後、長野にある生長の家の拠点から「被害があまりにも大きく、復興には程遠い状況が続いている。継続的な支援をお願いしたい」との救援要請を受け、穂保地区の支援にあたりました。

千曲川の決壊した場所に近い体育館の様子。

 

【有志のメンバーが集う】

実は第1弾が計画された際、「一緒に行って力になりたい」と言ってくれたPBSメンバーもいたのですが、あまりに短期間で慌ただしく事が進んだため、叶いませんでした。

復興支援はPBSメンバーの「活動」のひとつに含まれますが、実際に現場で作業を経験したことのあるメンバーはまだ少数です。今後自然災害の増加が懸念される中、この取り組みを一層拡げるためには、現場で場数を踏み、経験を積んだメンバーが増えていくことが望ましいです。

そこで今回は「本部職員以外のPBSメンバー」から参加希望者を募ることにしました。これに応じた6名(愛知1名、31日から岐阜5名)と、自ら活動を志願した本部職員10名でチームが編成されました。チームメンバーのモチベーションは総じて高かったと言えます。

 

【後方支援の重要性】

今回も準備期間が短い中、第1弾の経験を活かして現場へ持って行くための備品選定や、宿泊・レンタカーの手配、現地情報の収集や資料作成など、諸々を後方支援隊(家庭の事情等で現場に行かない・行けない本部職員)が行ってくれました。後方支援隊の存在は大きいです。準備が整い、いざ穂保地区へ。

前日の打ち合わせの一コマ。土嚢袋は裏返して使うものです、というレクチャー。

 

【作業1日目 ハードな泥出しと運搬】

 直接作業現場付近まで車で入ることが出来ません。なぜなら道路事情が悪く、乗り入れた車が作業の邪魔になるからです。そのため、現場から離れたグラウンドの駐車場に車を停め、専用のマイクロバスへ乗り換え、マッチングが行われる拠点「特別養護老人ホーム りんごの郷(りんごサテライト)」へ移動します。マッチング後、必要な荷物と渡された地図を持って1km以上離れた作業現場まで徒歩で移動します。

北部ボラセンにある掲示板。

作業道具一式を持ち、長靴のまま歩いて移動するのは結構大変です。しかも、あろうことか道に迷いました…。

困って周辺を彷徨っていると、軽トラに乗った地元の方(Sさん)に「どこへ行くんだ?」と声をかけられます。場所を伝えると「こっちじゃない、向こうだ。連れて行ってやろうか?荷物も全部載せて」と。恥ずかしくも申し訳ない気持ちになりましたが、お言葉に甘えて連れて行ってもらい、5分足らずで到着しました。徒歩だと20分はかかりそうで、その分作業に充てる時間が短くなっていたことでしょう。

Sさん以外にも、バイクで地区内を見回りする地元の方などもいました。

本当に助かりました。Sさん、ありがとうございます。

この日は背丈ほどの高さまで浸水した個人宅に入り、11名で作業を行うこととなりました。床はすでに剥いだあとで、堆積した泥をとにかく掻き出します。

中腰での泥出し作業は大変です。

結局土嚢袋は使わず、一輪車の上に直接泥を積み、所定の場所へ運び出す形になりました。

ここで、長さ50cm程度の「十能スコップ」が扱いやすく、重宝しました。根太(ねだ)と呼ばれる角材の間隔が狭いため、柄の長い角スコップは小回りがききません。手の届かない位置の泥を掻き出す場合のみ、角スコップを使いました。

十能スコップ。長さ、重さは角スコップの半分程度で、片手で扱えます。

 

私たちは効率を求めず、安全に、丁寧に、被災された方々の気持ちに寄り添いながら作業を行うことをモットーとしました。

チームワークも優れていたため、予定よりも早く泥出しが完了し、樹木の伐採や散乱したガラスの片付けなども行いました。結果として、作業がはかどったことで家主も大変喜ばれました。ただ、生活の場を再建することが第一で、泥を被ったリンゴ畑などは後回しになるなど、地区全体でやることがまだまだ残っているという状況です。

私は災害ゴミ置き場まで何度も往復し、伐採した樹木を運搬しましたが、思い出が詰まった品々が泥をかぶって無造作に捨てられている様子を目の前にすると、何だかやるせない気持ちになりました。地元の方々は気丈に振舞われている様子でしたが、心身共に疲れ果てているはずと思います。少しはお力添えができただろうか、と自分自身に問いかけながらこの日の作業は終了しました。

 

【作業2日目 災害ゴミの運搬】

 翌日、岐阜から軽トラで駆けつけたメンバーと合流し、3チームに分かれて作業を行いました。私は午前中、軽トラで災害ゴミを指定された集積場まで運ぶ際の、積み込みや荷下ろしを担当しました。これもまた大変な重労働だ、と事前にボラセンから聞いていましたが、普段のジテツー(自転車通勤)で培った持久力が役に立つものと思い、自ら志願しました。

様々なシーンで軽トラは本当に役に立ちます。

 高々と積み上がった災害ゴミを、少しずつ切り崩しては軽トラの荷台へ移し替え、自衛隊が搬出する集積場まで運びます。積み込みは6名くらいで行いますが、荷下ろしをするのはドライバーと私の2人だけです。実際やってみると確かに大変です。

間近に立つと凄い高さに見えます。

 釘やガラス片なども落ちているので、危険なポイントは他のボランティアの方々へ共有し、意識して意思疎通を図ります。中にはヘルメット未着用、シャツは半袖という方もいました。自分の身は自分で守るのが基本なので、装備はしっかり整えて臨むべきと感じました。

ボラセンの指示通り、午前いっぱいはこの作業を行い、午後から別の個人宅で作業をしているチームと合流しましたが、図らずもここでSさんと再会。昨日私たちを運んでくれたSさんと一緒に作業をする機会がありました。実は作業にあたったお宅がSさんの近所だったのです。

作業宅の裏に重機が入っていました。

「1階が浸水して屋根の上に逃げた。人生で初めて、自衛隊のヘリで釣り上げて救出してもらった。テレビで観たことはあるが、まさか自分が経験するとは」

休憩時、住民の方が被災当時の様子を語ってくださいました。また、

「家はめちゃくちゃになったけど、今こうして生きているだけでも本当に良かった」

とも仰っていました。被災された方の内情を窺い知ることは出来ず、私はただうなずいて聴きました。

 

倉庫の片付けや散乱した災害ゴミの搬出など、出来ることをお手伝いして、16時頃に作業を切り上げ、帰り際にSさんにも挨拶をしました。

「少ししかお役に立てませんで…」

「いや、とても助かったよ。わざわざ来てくれてありがとう」

 

翌日からまた元の生活に私達は戻ります。ですが被災された方々の明日は、この続きが待っています。たった1日や2日の作業で出来ることは限られます。そして、ボランティアの人数は日を追うごとに減っていく傾向にあります。だから、一時のことではなく、継続して取り組む必要があります。

 

【反省事項】

準備期間が短かったため、参加してくれたPBSメンバーが少なかったことは反省すべき点です。前もって案内が出来ていれば、都合をつけて参加できる人も多かったのではと思います。

被災地のために立ち上がるPBSメンバーが増えていくことを願い、今後も被災地に想いを寄せて取り組んで行きたいと思います。

山田 真史