【自転車で湧水めぐり】
今回私は、湧水(ゆうすい)を自転車で訪れてみました。
湧水とは、地下から湧きでる水のことです。
山梨県北杜市は八ヶ岳と呼ばれる標高2000メートル前後の山々に囲まれ、市内に50箇所以上も湧き出ていると言われている、有名な湧水群の1つになっています。私の住んでいる大泉(おおいずみ)町の地名も泉が多くあることに由来しています。      

【訪れた湧水】
~八右衛門出口湧水~

八右衛門出口湧水は、自宅から約20分ほど走ったところの道沿いの木陰にありました。車の通りは多いところではないですが、知る人ぞ知る田舎の湧水地と言ったところだと思います。
名前の由来は、昔、大泉村に住んでいた八右衛門という人の名だそうです。『八ヶ岳南麓の湧水と水神(その1)』には、語り継がれている物語がありました。
『昔々、山火事に遭った八右衛門がふるえているヘビを見つけ、火の気のないところまで連れて行き、逃がして助けたところ、後日、夢にそのヘビが出てきて「先日は命を助けてくれてありがとう。そのお礼に楊子を差し上げます。この楊子を好きなところに突きさすとそこから水が湧きだします。」と言われ、驚いた八右衛門が目を覚ますと本当に楊子があり、その楊子を刺すと実際に滾々と水が湧き出したそうです。』

んん!?「ヘビがどのように楊子を持っていたの?」「楊子を刺しただけで水が湧く?」などと思ったりもしましたが、いかにも昔話でありそうな話の展開に何となく親しみを感じました。

~三分一湧水~
三分一湧水は湧水を三等分できる分水施設です。標高が高く急斜面にあり、農業条件が厳しかった為、水を巡る争いが絶えなかった時代があったのですが、「水分石」と呼ばれる三角形の石を設置して湧き水を三等分する事によって争いが収まった経緯があるそうです。今は周辺が公園になっており、湧水の歴史が判る資料館やビオトープ、お蕎麦屋さんなどが併設されて、観光地となっています。

(三分一湧水)

 

(三分一湧水の水分石)

 

【懸念される水資源】
北杜市にはこのように、多くの湧水があります。
火山帯に降った雨や雪が、自然界のろ過装置ともいわれる火砕岩(かさいがん)層帯に浸透し、ゆっくり湧き出した水はとても美味しいと感じます。多くの酒蔵や、サントリーの工場がある事でもおわかり頂けると思います。
そんな恵まれた土地にいる私達にとって水は、当たり前にあるものですが永遠には続きません。
先日、メキシコのある田園地帯で直径およそ60メートルもある大きな穴が突如出現してニュースになりましたが、これは地下水の過剰なくみ上げが原因とみられています。
また、有名なミネラルウォーター「ボルヴィック(Volvic)」の水源地でも、過剰な採水により、地域の丘陵の湿度が下がり、生物多様性に影響が出る恐れがあるとのニュースもありました。
近年の人口増加を背景に人間が使う水の量は急激に増えていて、1900年と2000年の1人あたりの水の利用量を比較すると11倍以上も増加するなど地下水の枯渇を招いている状況にあります(『見えない巨大水脈 地下水の科学』参照)。
※火砕岩層帯=火山活動で放出されたさまざまな大きさの砕屑物が固まってできた岩石。→https://www.gsj.jp/data/openfile/no0561/gsj_openfile_561.html
※ボルヴィック→https://www.afpbb.com/articles/-/3348053

それだけでなく、日本では、リニア中央新幹線の為のトンネルが川の流れを分断してしまい、下流域に住む人びとの暮らしへの大きな影響が懸念されているそうです。
※リニア→https://www.at-s.com/news/special/oigawa.html

【湧水と水神さまと先人たち】
このように水資源を巡る環境は決して良くはなく、悪化しているように思います。ふと湧水近くに祀ってあった、祠の事を思い浮かべました。
今回湧水巡りをして気付いたことは、私が訪れた湧水すべて(紹介した以外にもいくつか市内の湧水を訪れました)に、石の祠があり注連縄が張られていた祠もありました。この滾々と湧き出るきれいな水を先人たちが大切にしていて、手を合わせていただろうなあと想像しました。

(八右衛門出口湧水の祠) 

 

(三分一湧水の祠)


祠に由緒は刻まれていませんでしたが、八右衛門出口湧水を調べた際の本のタイトルに「水神」とあったのを思い出し「水の神さま」について調べてみました。
『日本民俗事典』によると、水神さまとは、「水にまつわる神の総称で、単なる水の神としてばかりではなく、田の神、山の神のほか、井戸神のように飲料水を汲む井戸に祀られる水神もあり神格は実に多様である。」とありました。昔の人々の暮らしが頭に浮かび、日々の糧を得るため、切実な祈りを捧げる対象だったのだと感じました。
また、現在はその形跡を見出せないものの、昔の人たちは、水の利用場所近くだけでなく、水源に祠を建て、お祭りを行っていたようです。同書に、「もともとは、川や泉に飲料水を求めた時には、その水汲場が水神の祭場とされ」とあり、元々は水が湧く場所そのものが尊ばれていたとわかりました。

先人たちは湧水を通し、身近な生活の中に自然と神さまを感じ、崇め、感謝していた事を知りました。私たち現代人が忘れがちな神と自然を思い出すこと、日々の生活の中でそれらの恩恵に感謝することそして人間はこれらに謙虚であることの大切さを改めて先人から学びました。

そして、生長の家総裁 谷口雅宣先生ご著書『日々の祈り』の一文が、今回湧水で学んだ事と同じだと感じたので紹介します。

「水は生物に栄養素を与えるだけでなく、生活の場をも提供する。(中略)地上のすべての生物に生きる場を与え、生物の体そのものを形成し、さらに生物に栄養素を提供し続けているのが「水」である。それは、もはや物質にあらず、神の無限の生かす力そのものである。」

なお、先に紹介した「八右衛門出口湧水」の物語も少しだけ謎解きが進みました。それは前掲の事典に、水神について「水神は具象性をもって語られるが、それは蛇である例が多い(後略)」と記述がありました。物語でヘビが登場した理由がこれでわかりました。注目すべきは楊子ではなくヘビだったのです!

皆様も地元巡りを通して共に学びを深めましょう。

興梠康徳

 

 

(参考資料)
『八ヶ岳南麓の湧水と水神(その1)』きたむらひろし著 陶房酔翁
『組史 湧水の里』編集責任者 谷戸武雄
『見えない巨大水脈 地下水の科学』日本地下水学会井田徹治
『日本民俗事典』大塚民俗学会編集
『日々の祈り 神・自然・人間の大調和を祈る』谷口雅宣著